ひとりっこよじはむ

よじはむだよォ〜おもしろいよォ〜

#9ブラック会社にいた時の話

 

 

マチャーオ! よじはむです

 

最近布団ちゃんのエルデンリングが楽しすぎて、彼の声を聞かないと寝れない体質になってしまいました。グッズ沢山買ったよ〜。

 

布団ちゃん(魔神) (@indegnasen210) | Twitter

 

以下、ニコニコ大百科より一部抜粋

布団ちゃんとは、国内最強のゲーム実況者うんこちゃん(加藤純一)の親友にして、梨民総大将。現在、オープンレックをメインに活動するライブストリーマーである。

学生時代に風呂から出ても、バスタオルではなく布団でごろごろすることで体を拭いていたことが印象に残りうんこちゃん命名。本当の名前は(テレスク)ポコチエル松本らしい。
 生放送の内容は主に雑談やゲーム実況、たまにギターや声真似、絵描きなどそつなくこなす。雑談枠のゲストにうんこちゃん、よっちゃんなどの友人を出演させることもある。
 「僕、アンパンマン!」「大三元」「犬のブレイブメン」など多くのオリジナルギャクを持っている。しかし、動きや顔を伴うギャクが多いため、視聴者には面白さがいまいち伝わってこないのが残念である。
 腹筋が一回もできないほど筋力がなく、うんこちゃんに指三本で倒されるほどらしい。また、前歯が腐っており、前歯を隠すように笑っていたらそれがく癖になってしまったらしく笑顔がとても不自然。未だ嘗て心から笑顔になれたことがないらしい。早漏なのでとても気持ちよさそうにセックスをする。

 

ね。ナチュラル狂人でしょ。

布団ちゃんのダウナーな声を聞いてると本当ハッピーな気持ちで胸いっぱいになって、特に苦しんで限界を迎えた時の彼が最高でさ…フロムゲーで苦しめば苦しむほど体のうちから癒されて行くんです。狼みたいなヤツに1時間半ボコられるの最高に楽しかった。マジでおすすめ。

そんな布団ちゃんの切り抜きで、ブラック会社について語るヤツがあって、布団ちゃんも結構辛い思いしたことあるのかな…なんて。

俺、高校出た後ブラック会社入ってさ、まーメチャメチャな目にあったなって思い出したので書いていこうかなと思います。長いけどお付き合い下さい。書籍化待ってます。

 

時は遡る事2010年。好きな子に好きって言えずに高校を卒業した(#5参照)よじはむ。一ヶ月位ある春休みは山岡家のバイトと、解散しかけのヒヤヒヤなバンド以外やることは特になく、かといって友達もおらんので毎日毎日なんとも自堕落な生活を送っていた。

徐々に暖かくなって行く気候を感じながら食って寝て食って寝ての繰り返し。きっと進学する童共は新生活に思いを馳せキャッキャしていたのでしょう。死んじゃえばいいのにね。

彼はなんでこんなにダラダラしているのかと言うと、リマーンショック真っ只中、就職氷河期と言われたこの時代に何と奇跡的に内定を獲得していたのです。

 

一応進学校だった母校で就職は極めて稀な存在で、体育館は進学を希望する生徒でいっぱいになり、就職する生徒は普通の教室に案内されるが余りに少なすぎて教室一部屋が埋まらないくらいだった。

流れとしては、まぁ今思えば9割ブラック企業の学校斡旋就職先一覧、ブラックファイルが配られ、そこから希望する企業にアポを取り、出向いて試験を行うと言った流れだ。

中でも一番星だった誰もが知る会社に狙いを定めていたけれど、係の先生からサッカー部のキャプテンが受けるためそこ以外にしろと申し出が。もうこの時点で我ら帰宅部に人権は無し。

そこよりもう一つだけ小さい会社にアポを取り、なんとか面接まで漕ぎ着けたが集団面接で入ったそれっぽい応接室の中で生徒サイドは俺以外全員坊主。高校時代で頑張った事を聞かれるとクソみたいに声がデカい野球部が甲子園のコの字も出ないクセにさも何かこの世に爪痕を残したかの様に胸を張って部活生活の事を語り、それに対してうんうんと感心した感じで頷く面接官。別世界すぎてよく分かんなかったけど、「あ。こいつら、なんかちゃう」とだけ思った。

俺はよく覚えてないけどバンドとバイトを掛け持つ大変さや双方で大人の世界に入れてもらう貴重な体験をした。とか語ったかな。実は話が終わる前に終わったわ。って分かってたんだ。俺ん時、超つまんなそうだったから。案の定落ちた。ジジイ高校野球好きよな。ちなみにこの会社は一昨年潰れた。会社くんっ。ざっこぉ♡

 

その後落ちたヤツ向けに学校から、千葉みなと駅の前にあるホテルの2Fで高校卒業生向けの集団面接会があると案内が来た。

高卒の就活生を求める企業の代表が沢山集まり、各々面接した上で働いてくれる奴隷…じゃなくて就活生を見つけようと言う会だ。

カンのいい人は気付いたっぺ?そうだよ。その通りだよ。

先日の学校斡旋で定員に満たなかったブラック企業と一輪のホワイト企業にありつけなかったゴミカスの集まる蟻地獄だよ。大正解。エスポワール一歩前駅です。

俺含めそんなゴミカス共が千葉中から集い会場には200人位居たかな。事前に配られたパンフレット、今思うと聞いたことが全くない会社しかなかったな。ブラックファイルneoと呼ぼう。俺はブラックファイルneoを携え、ブラックファイルneoの中でも一番給料が良い会社に狙いを定めて行った。定員は4名。最初は日雇いの準社員だが3ヶ月で社員登用しますって怪しい事が書いてあったけどよく分からないので無視。まぁ企業の数を見れば流石に人も散るだろうと画策していた。

既に8人並んでた。またコレかよ。もういいよ。

明らかに俺よりデキるであろうゴミカス共の中でもうここ落ちたら山岡家で一生バイトしてベースでプロになろって決めた。全てがめんどくさい。もはや弛緩の極みだった。

並んでると後ろにも2.3人の列が出来始めてた。そりゃそうだよな。目クソ鼻クソの中で差別化が有るとすれば金だ。みんな考えは同じよな。

ふと面接の様子を見たところ、面接官は人の良さそうなオジサンだった。白髪混じりのゆるいオールバックに曇りのない銀縁眼鏡。身なりに気を遣っているのは俺でも分かった。当時の役職は専務だったので湯川と呼ぼう。

湯川はゆったりと喋り、よく笑う人だった。切れ長の目を細め、口の端を薄く開けて笑う独特の笑い方をする。

俺は消化試合のような気持ちで面接に臨んだ為、当たり障りのない事ばかり話したと思う。細かく覚えてないが、湯川は俺の人となりを見透かす様な質問を投げかけてきたような気がする。どこか今まで話した大人とは違う何かを感じた。

全く違う星の人と喋ったから変な感じになったが、帰りの電車に乗る頃には明日のシフトと、ハマっているアニメの事で頭がいっぱいになって全てを忘れていた。

 

数日後、湯川の会社から合格の連絡があった。

 

育ててくれたおじいちゃん、おばあちゃんは大喜びしてくれた。このロクデナシが正社員になるなんて!って。

バイト先にも速攻伝えた。みんな素直におめでとうと言ってくれて、フリーターのお兄さんも「俺もそろそろ正社員にならなきゃな〜」って言ってた。ふと、休憩中にお兄さんがインターネットで調べてみるから会社の名前を教えてくれって言ってきたので、あ、丸球ブレイクサービス(もちろん仮名)です。って伝えた。

広い広いインターネットの世界にそんな会社は存在しなかった。

ヤバくね…?って言葉が空を漂って消えた。

 

 

月日は流れ4/1入社式の朝、スーツを身に纏い母ちゃんから貰った10万キロ越えのRAV4で初出社した。国道16号は出勤するサラリーマンの車でごった返していたが無事に時間30分前に本社ビルに到着。

1階は玄関と駐車場のみ。2階に事務所、3階に応接室と、手狭な3階建のビルだ。

車を止め、インターフォンを鳴らすと湯川が出た。

2階事務所には女性の事務員さんが3人居た。改めて自己紹介をし、応接室に通された。

遅れて湯川が入ってきた。前もって言われていたので、持参した通知表を渡すと興味深げに読み始めた。

ほーん。ふーん。とリアクションを起こすたびに切長の目が少し上下した。一瞬の沈黙の後、通知表を見ながらゆっくりと湯川の口が開いた。

 

「この遅刻、早退の数は何?」

 

絶対突っ込まれると思った。3年間でそれぞれ30回以上はやらかしてるけど今更直しようが無いので正直に言った。

 

「覚えている限りで一度は寝坊しました。あとは、天気が良かったりすると、とてもじゃないですが満員電車には乗りたくないので駅から少し離れた海が見える公園のベンチで一服してから登校しました。」

 

湯川の口元が緩んできたので続けた

 

「早退はバンドのライブがほとんどです。月に2本から3本はライブを行っていたので昼から帰ってリハに行くんです。リハは大体15:00〜ですので。あとは、ほかの高校の友人と良く木更津駅前のラビンでお茶してました。パンケーキが絶品なんですよ。」

 

湯川爆笑。目から涙こぼして笑ってた。絶品じゃねーよ。普通そこまで言わねーよ。って。

良かった。あんまり遠い星の人じゃないなと思った。

 

そんな話をしているともう1人、新入生が入ってきた。イカついヤンキーみたいな風格。

彼の通知表も読んでいたが以外に皆勤賞だった為、湯川はつまらなそうにしていた。みんなちょっと変なところが気になるんだ。

午前中は安全のビデオを見たり、湯川が会社の事業などを紹介してくれたが正直良くわからなかった。

昼食は湯川のおごりで個人経営の店にステーキを食べに行った。

そこで確か新入社員は4人と聞かされていたのに、何故か2人しかいない事に気づいて質問すると、残りの2人は免許が間に合わなかったので幕張まで原付免許を取りに行かせてる。と言われた。事前に4/1までに免許を取れと言われていたのになぜか間に合わなかったらしい。パンチ効いてるな。

ちなみにこの2人は後日キワッキワな変人上司の元、1日に何度もクラゲ取りをさせられる部署に回されていた。

あっという間にステーキを平らげたので一つ、気になっていた質問を湯川に投げかける。

どうして俺らを選んだのか。って。

幕張で頑張ってる残り2人は見たことないが、どう見ても俺らは真逆の人種だし、正直採用基準がわからなかった。すると、口の中にあるステーキを頬に寄せて湯川が一言放った。

 

「適当」

 

ウケる。なんだこいつ。

本当の本当に本気で適当らしい。

あの千葉みなとでの面接が終わった後、履歴書の写真を剥がして机に並べていた途中で、たまたま課長が帰社してきたので一緒に「どいつにする?」って感じで選んだらしい。まぁ高卒のハナタレなんて誰も同じだから合理的だわな。ちなみに俺の採用理由は一番顔が良かったからで、もう1人の彼は気合い入ってるから。だそう。顔が良いそうですよ。照れちゃうね。

その後は山奥の自社工場に挨拶に行き、本社に戻り、給料の事などを教えてもらい解散となった。日給1万円、交通費込み。ゲンセンチョーシューは毎月10%取られるそう。ギョーセキ次第でボーナスが出るかも。だって。当時はよくわかんなかったが色々とヤバい。(後に湯川はみんなのボーナスになり得たであろう経費で社用車としてクラウンを、弟の工場長はハイエースを買ってた。)

自社工場の住所だけ伝えられて明日からそっちの方に出社しろとだけ言われた。

うちから、山奥へ…どうやって…?

 

 

 

 

 

 

 

「お前バカ野郎!!!」

何かでヘルメットを殴られたらしく尋常じゃない目眩がする。そいえば親方、片手ハンマー持ってなかったっけ。

「ボルト緩めろっつったろ!締めてどうすんだ!」

もう一発。脳が揺れて視界が霞み耳鳴りがする。俺はワニワニパニックのワニさんになったらしい。親方、カッとなると何持っててもヘルメット殴るんだよな。。。

 

 

 

入社して早2ヶ月。週に2回以上休んだ記憶は遥か遠く。今思い返しても尋常じゃない程過酷な労働環境だった。そいえばゴールデンウィークも全通だったな。すたスタンプカードくれ。

山奥の工場に6:30に集合し、8人乗りのハイエースに8人で乗って企業の工場に行き、8:00〜17:00まで働き山奥の工場経由で帰宅するので19:00に家に居れば早い方だった。珍しくない残業が有ればもちろんその分遅くなる。毎日毎日5:30に起きて怒鳴られて帰って食って寝る事を繰り返す。これが日常に溶け込んで普通になっていた。

 

社会人デビューをして数日はデモンストレーションとして自社工場で倉庫の整理をしていたが、2週目には初めて会う親方のチームと一緒に製鉄所の整備班に回された。

製鉄所の中はどこもかしこもサビでひどく汚れていて、少し歩くだけで服が茶色に染まって不快だった。けどすぐに慣れた。手摺もドアノブも、どこを触っても手が茶色くなり、石鹸ではなかなか落ちない汚れに変わる。

そんな中で初めてのおしごとを行うわけだが正に右も左も分からない。分からないことが分からない状態で怒られながらあっちこっちに引き摺られてた。

基本機械班なので機械の事を行うはずだが蓋を開ければ何でも屋。設備の整備に始まり掃除や突発対応、ちょっとした足場組みから元請けの事務所の模様替えなんかもやっていた。

 

この社会の構造を簡単に説明すると、まず工場を持っている大企業がいて、その会社から仕事をもらう一時下請けがいる。ここの会社員は工事監督しかいないので、実際に現場作業を行う二次下請け、通称孫請けに仕事を発注する。イマココ。

俺のいた会社の下にも個人事業主や、更に下請けの業者が居るため、俺の会社は一応手は下しつつ一応工事を監督する立場にあるが、新入社員の俺は業者に混じって色々覚えさせられている感じだな。
故に仕事内容は毎日バラバラな訳。予定してた作業の途中で突発的な故障を直しに行ったりと元請けの都合によって色々振り回される立場にいる。金曜の定時後にやっぱ明日出勤ね☆とかザラ。

 

実際にあった事例で言うと、ある日の16:00、予定作業がマジでキツくてクタクタになりながらもようやく帰れると思って頑張っていたが、元請けから重要な設備が故障したのでなるべく早く治してほしいと言われる。

現場に直行して取り掛かる。クレーンで吊ったり配管を外したりし、故障箇所を作業場に持ち帰り整備。この時はでっかいファンの軸が乗るところのメタルってやつが悪さをしたので人力で整備しなければいけない。

クレーンが遅れたせいでもうこの時既に20:00。ガジガジになった金属を2人がかりでツヤツヤにする作業に入る。

やっと終わって22:00。元請けが買ってくれたメインのお惣菜が無い豚の餌みたいな弁当でやっと一息。アタリの時はCoCo壱のポークカレーでした。なんかトッピングせぇドケチが…

0:00に組み付けが終わって帰れると思ったら問題発生。回したけど温度が高すぎると。やり直し。

注意力も判断力もすっ飛びながらひたすら言われた事を行う。この間は誰も彼も余裕が全くない為ずっと機嫌が悪く、何かにつけて新人の俺は怒鳴りつけられ叩かれていた。

5:00全部終わってトラックにのって帰宅。もうボロボロ。帰りは何度も信号で寝てクラクションを鳴らされた。ようやく7:00に家についたが、あまりの疲労で作業着のまま玄関で爆睡した。しばらく起き上がれなかった。

 

これと似たような事が度々あった。
勿論って言ったらおかしいけど人権もほぼ無いのが分かるでしょ。これが当たり前とされてるんだぜ。しかも休憩はプレハブ倉庫が有れば良い方で、人でパンパンなトラックの中で休憩する事も珍しくなかった。

中でもラクだったのが大規模な工事が計画されている時だった。俺がやったのは引くほどデカいタービンの定期整備だった。ジャスコくらいある建物の中に据え付けられているクソデカタービンを一度バラして整備して組み込む作業。計画表通りに進まなければいけないが見切りをつけて帰れるからまだマシだった。ゴールが有れば多少頑張れる。

とは言っても計画表は土日もパンパンだし定時ではどう頑張っても終わらない量の仕事が平気で盛り込まれている。元請け的には俺らの健康なんか度外視。一日でも早く設備が稼働した方が利益が出るからだ。

前日までの準備段階では割と定時に帰れたと思う。だが一度始まると毎日0:00まで働かされた。毎日だよ?

途中で流石に間に合わないと悟った元請けが二交代にしようと申し出てきた。コレが本当に助かった。何せ20:00には帰れるんだから…。感覚バグってるな。

だけど当時居た会社、消耗品である革手袋や安全靴なんかは全部自分で揃えなければいけない為、仕事終わりによく平成通りのワークマンに買いに行った。だがワークマンは20:00閉店の為この工事の最中は買いに行けず、ビリビリに裂けた革手袋で作業していたら見るに見かねた親方が一つくれた。※普通は会社支給です。

この時間に帰宅するとコンビニくらいしかやってない為、甘いモノが欲しくてブラックサンダーをよく買いに行ってた。ただ手も作業着もまっ茶色で汚かった為、女の子の店員さんがお釣りを投げて渡してくるのが地味に苦しかった。もう潰れちゃったけど清見台のTSUTAYAにもよく言ったな。5枚1000円でアルバムを借りてipodに音楽を入れ、かけながら通勤するのが唯一の楽しみだった。

毎日毎日体を酷使する為ヘロヘロになってた。しかも帰りは早くて21:30だったので毎晩寝てるとふくらはぎがつって痛みで起きるんだ。うんと疲れてる日は足がつっても寝続けたから次の日足に変な感じが残った。

 

この工事は今までのメンバーに加えて大幅に増員されて行われたが、クラスで言うとやんちゃな、もういいや正直に言おう。乱暴なグループの人間が集まりました。新人メガネくんのよじはむはターゲットにされてめちゃくちゃにイジメ抜かれました。この頃に人間にはちゃんと悪意ってモノが存在していて、ヒエラルキーが存在する事を勉強させて頂きました。ま、当然だよね。

鉄粉をたっぷり塗った革手袋で顔をゴシゴシされ、真っ黒になった顔を写真で撮られるのは日常で、ちょっと下手な事を言うとケタケタ笑いながら思いっきり安全靴で蹴られた。中でも脛を蹴られるとしばらく起きられないくらい痛い。当然だが安全靴で人を蹴ってはいけない。蹴られた部位をお風呂の時に見ると、蹴られた所だけどす黒くなってる。

安全靴図解

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安全靴ってのはこの先芯ってやつのお陰で間違えて設備や重いモノに挟まれたとしても足を潰されないような設計になってるんだがカッチカチなので蹴られたら有り得ないくらい痛い。バットで殴られたらヤバいでしょ。簡単に言うとあんな感じ。

上下作業でガス溶断してる時はわざとパチンコ玉サイズの火の玉を落とされて頭に降りかかって火傷した。ホースを持たせれば水を思いっきりかけられるし、サンダーを持たせれば真っ赤な切り粉をわざと降りかけてきた。どうしてか分からないけど、普段面白い事言うし、こう言うのもおふざけの範囲だと思ってるらしい。当時はなんだかんだ優しいからこの人たちみんな口は悪いけど良い人なんだろうと思ってた。※ちがう

フィジカル面はそこまで気にならなかったけどメンタルは結構クるモノがあった。

母ちゃんはいくつだ。って質問に答えたらヤレる、ヤレないの話を初めるし、カバそっくりの30歳素人童貞の人には童貞である事を散々なじられた。知ってる?最近の若いのはってバカが使う言葉、本当に言うヤツ居るんだぜ。何歳になっても言うんだぜ。

元請けは元請けで少しでも作業が遅れると「お前の代わりはいくらでもいるんじゃボケェ!!」って怒鳴りに来た。あまり覚えてないけど絶対もっと色んな人に酷い事を沢山言われたと思う。

覚えてないのは自分を守るために忘れたからで、忘れたって事はもう解決した問題なんだ。だからいい。もう全部いいから地獄から出ないでくれ。

 

そんなこんなやられてたら工事の半ばで幻覚が見えるようになった。精神が錯乱してたんだと思う。

でも、結構リアルでさ、例えば窓がない、下にファンもない天井のデカい水銀燈がずっと揺れてるのをみんなが不思議がってたんだけど、小さい子供2人が交互に押し合ってるのになんで見えないんだろう。って逆に不思議がったり、クレーンのフックで真っ黒い人がドンキーのワニみたいに遊んでたのを見た次の日に絶対外れようがないワイヤーが外れて人が挟まれて死にそうになったり、極め付けは現場でぼやっとした人が浮いてるのを見て元請けの人に伝えたら、みるみる顔が引き攣って昔そこで人が首を吊った事を教えてもらったり。

あとは色々あったけどいきなり知らない人が立ってて二度見したら居なかったとか目の前を小さな光る虫が飛び回ったりとか本当に沢山不思議体験をした。幻覚なのかシックスセンスなのか分からんけど凄い所に居たなって思う。

この後現場が変わったら途端に見なくなったけどね。

 

そんな現場でも面白い事はあって、ビルで言うと4階か5階くらいの高さがあるところで作業している時のこと。俺が誤って親指くらいのサイズのボルトを落としちゃったんだよね。そしたら親方がカンカンになって怒って手に持ってるスパナで思いっきり叩いてきた。

なんでも、下に人がいたらこの高さでは死ぬ。絶対に高いところからモノを落としてはいけない。お前を殺人者にしたくないから怒るんだ。って事らしい。ボルトくらいじゃ死なんしスパナで叩く方が遥かに危ないが、確かに物の落下は危ないからありがたい説教だと思い、謝った。今後はニ度とやらないように気をつけようとも思った。

2分経たないうちに親方がチェーンブロックを落とした。

 

チェーンブロック

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11kgだそう。こんなん落っこってきたら首が明後日の方向いちゃう。

気まずい空気が流れたが元気よく「取ってきます!!」って言って地獄の空気を何とかしようとした。親方は あぁ。って言ってた。あぁじゃねえ。お前殺人者になっちまうぞ。

 

そんなこんなで35連勤目、終わりは唐突に訪れた。普段来ない湯川が現場に来て、みんなと一緒にタバコを吸いながら他愛ない話をしてる時にいきなり「あ、そうだ。明後日からよじはむと親方は別の現場に行ってもらう事になったから、明日1日休んで明後日同じ時間に工場に来てくれ」と。言った。あの時、このいじめが横行する鉄粉地獄から抜け出せる喜びと、明日休みって言う言葉がぐるぐる回って信じられないくらい脳内麻薬が出た事を昨日の事のように覚えてる。

ただ、この状況が続く他のメンバーは良く思わない為、嫌味を沢山言われたな。ホッとしてんじゃねぇ。とか、あそこの現場は発癌性物質の含まれている機材の処理設備だからガンになっちまえとか言ってたな。脳に疾患抱えてると大変でちゅね。でもいいんだ。俺明日休みだから。

今のところ連勤記録は、この35連勤が最大で、これから抜かれる事も無いだろう。

帰り、ハイエースの中で親方に褒められた。よくやりきった。と言われた。絶対辞めると思ってたらしい。素直に嬉しかったけど辞めると思うんだったら殴らないで欲しかったかな。

 

次の日、念願の休み。久々に10時まで寝たけど今更自律神経がブチ狂ってるのは治らず仕事モードにスイッチが入ったままなので一日中落ち着かなかった。ただバグった概念が少し元に戻った感じはしたかな。TSUTAYAにDVDを借りに行って眠くなったら昼寝して、家で夜ご飯を食べて。当たり前の休日を過ごした。この一ヶ月は人間じゃなかったんだな。

 

次の現場は若干悪口みたいになる為詳しく言えないけど、バブル期に大量生産していたアレの中に発癌性物質が含まれている事が分かったので全回収して処理しよう。って工場だった。アスベストなんかも同じ括りだね。

そこの工場はそこらへんに発癌性物質が付着している地獄の底みたいな所だったが、当時の俺からしたら天国以外の何者でもなかった。

毎日定時に帰れるしたまに土日休みがある。しかも製鉄所と違って体が汚れないから一生ここで良いと思った程だ。今は絶対にヤダけどね。

仕事内容は打って変わって掃除がメイン。コンベアから溢れた発癌性物質がたっぷり含まれた油を人間が拭き取る作業。もちろんロクな保護具もつけずにやってた。たまに機械の整備もあったり、高いところに歩廊をつけたりするのもあった。

ここには3ヶ月くらいいたかな。気づいたらもう夏になっていたので本当に暑かった。高いところでの作業は風が通らないし熱気が上がってくるしで最悪の環境だった。何度か熱中症にもなったけど、ここの元請けの人は良い人が多くて良く気を遣って貰ってた。

休む場所は狭い8畳くらいのプレハブに8人パンパンに入って休憩していたがエアコンはよく効くし、何より近くの自販機に500mlのゲータレードが有るから最高。天国だ。

夏も終わる頃、そろそろ現場が変わるかも。って話が出始めた時に、湯川が元請けとの接待に誘ってきた。川崎のチネチッタにある飲み屋でやるらしい。勿論断れる立場に居ないのであんまり気は乗らなかったけどOKした。親方と一緒にはじめての接待飲み方に出向いた。

俺は一人っ子だし基本的に隅っこが大好きなので店に入ると大体隅っこの席に座る。メニューを見てると湯川に呼び出されて叱られた。

「お前そこ上座だぞ。何お客さんの前でさ、座っちゃってんの?」

「いや僕端っこ好きなんで。。。上座って何スか?」

「ここ(通路側)お前ここな。」

「いやでも「な!」

「…ヘイ。」

湯川は基本怒らない。なぜ怒らないのか後に聞いた事があるんだけど「怒るとさ、疲れるじゃん。」と一言だけ。妙に納得したし、何年も会ってない今もタトゥーみたいに心に刻まれている大事な一言だ。

普段怒らない人が怒ると怖いじゃん。今コレ。

ここの元請けは良い人だったので話も弾んで楽しかった。飲み会でチャッチャ動くとみんなが喜ぶ事をここではじめて学んだかな。ただ今は飲み会が死ぬ程嫌いです。酒も大好きな人と楽しむ時だけしか飲んでません。

初めての接待飲み会は成功に終わり、一行は川崎の奥へ奥へと移動し始めた。やたら煌びやかな街に出ると何も言うこと無く一件のビルに入って行く。

18歳、童貞だったよじはむは完全にビビり散らかし「これって、エロいことする店ですか?」って聞いたら皆一様にただ酒を飲むだけだと言う。絶対嘘。俺すぐ分かったもんそん時。

やたらピンクなエレベーターに乗って二階の店に入ってく一行。最後尾に俺。暗い店内から大爆音のWe will rock youがかかってる。完全に察した俺が「俺車で待ってます」と踵を返して帰ろうとしたその時、今まで優しかった元請けのオッサンが

「大丈夫大丈夫経験だから💢」って言いながら信じられない力で手を引っ張ってきた。酒入ってたからね。そりゃね。

 

我、大爆泣き。18歳よじはむは川崎のおっパブの前でへたり込んで大号泣しました。マジです。

 

脳が処理しきれない位ビックリし過ぎると人間は大号泣するらしい。はじめての接待、はじめての風俗街、はじめて感じる大人の本気、そして大爆音のWe will rock you。大人にとっての普通は少年には刺激が強すぎるみたいです。

この体験が衝撃的過ぎて未だに女の子が脱ぐ系の店には行った事がない。今後いく事も無いだろう。完全にトラウマになっている。

みんなは泣いてる18歳の少年を置いてとっととおっぱいにありつきに行った。

みんな自慢げに奥さんや子供の話をするのに何で他の女の人のおっぱいを吸いにいくんだ?その口で嫁さんとキッスするのか?夢中になっておっぱいを揉んだ手で自分の子供を撫でるのか?どうかしてるぜ。なんなんだよクソ…ってブツクサ言いながら煌びやかな繁華街を逆走して車まで戻った。

これ以上もう汚れた外を見たくなかったからipodで音楽を聴きながら目を閉じてみんなを待った。

2時間位すると一行はニヤついた顔をして帰ってきた。何か満足げに話していたけど誰とも何も喋りたく無かったから黙って千葉まで運転した。

 

中途半端に休みが出てきた頃、仕事にも慣れ始めて特に何も無い毎日を送った。会社と家の往復。大好きなバンドはとうに解散したし、高校生の頃は毎日夜中の2時3時まで練習していた楽器も一切触らなくなっていた。

この頃全てに諦めた俺を癒してくれたのはギャルゲーだけだった。蘇我にある鑑定団や市原のZESTは中古のギャルゲーが数多く置いてあった為、しこたま買ってきて家電量販店で買った安いノートPCで何時間も何時間もプレイした。

5:30起きが板についていたので休みの日も起きてしまう。だから朝早くから夜遅くまで空想の世界に旅立った。現実の地獄みたいな日々からするとあり得ない位キラキラしてて何度も何度も号泣した。

 

とある日初めて怪我をした。

鉄板を運んでいる途中だった。俺は後ろ向きに運んでいたんだが同い年の頭溶けちゃってる系の相方が先も見ずにグイグイ押してくるから派手に転んだ。転んだ時は何とも無かったんだけど余りに膝が痛いからトラックで休憩してる時につなぎをめくったら、3cmくらいの幅でパックリ割れてた。たまたまサボりに来ていた元請けの下っ端の人に告げたら真っ青になってた。立場が変わった今ならわかる。俺も今担当の業者が同じ怪我したらすぐに真っ青になる。

こんなかんじ

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とりあえずこのままじゃマズいので病院に行った。誰も何も教えてくれないから当時の現場から一番近い病院に駆け込んだ。

見てもらったんだけどもう誰が見ても明らかに縫うヤツで、すぐに取りかかってくれた。病院とか痛いのは嫌いなんだけど仕事しなくていいから全然我慢できたな。んで、お会計の時に、普通に保険証出したら受付のお姉さんが、仕事で怪我をしたなら保険証は使えませんのでおたくの会社を通して下さいって言って書類くれた。ま。そうだよね。労災だもの。

で書類持って湯川の元に向かったらメチャクチャ詰められた挙句最後に

「労災って意味わかって言ってんの?使えるわけないじゃん。」

って。一言一句覚えてる。あまりの気迫に「ジブンノホケンショツカッテキマス」しかいえなかった。みんながおんなじ感じになったら労基に言おう。

そんで病院に帰って事の顛末を話したらお姉さんも察して同情してくれた。保険証使って精算してくれたので領収書を持って改めて湯川の所に行ったらお金くれた。ワーイ。漆黒寄りのブラックだ〜。

なんだかんだで現場に帰ったのは17:00を越えていたから皆んなに怒られた。乗り合いで帰るから車が無いとまずいんだよね。待たしちゃって本当に申し訳無かったけど災害が起きてるんですよね。僕も膝縫ったんすよ。ジブンノホケンショ使って。

そんで医者から縫合したばかりで菌が入るとアレだし、また開いたら困るから一日休めと言われたので現場の担当者に伝えたら胸ぐら掴んできて大爆ギレ。目ん玉飛び出るくらい怒鳴られた。何度も言いますが災害が起きています。工事中断、即対策会議レベルですよ。今の会社で労災隠しが分かったらその業者永年出禁ですよ。

「お前の不注意で現場に穴を開けるのか!」

「そもそも膝切ったぐらいで大袈裟なんだよ!」

「俺が若い時はそんな怪我唾つけて治した!」

「お前は医者が死ねっつったら死ぬんか!」

こんな感じの意味のない罵詈雑言を20分くらい吐いてた。罵詈雑言は大体意味ないか。なんでコイツがこんなにキレたのかを後々人伝に聞いた話だと、俺が休むと俺一人分の工数が減るからコイツの取り分が減っちゃって困るみたい。知らんがな。つくづく漆黒寄りのブラックである。

「いいよめんどくせぇ休めバカ」と捨て台詞を吐かれ帰途につく流れだったので翌日休んで一日中ギャルゲーやってた。リトバスの周回やってたね。

 

この頃からおばぁちゃんが余りにもひど過ぎる現状に疑問を抱いてくれて陰ながら転職先を探してくれていたらしい。俺は異常な状態が普通だと思っていたので全く異常に気づかなかった。

そんで新聞のリクルート欄で今も通っている弊社、超スーパーウルトラホワイト会社を見つけてくれたのである。感謝してもしきれねぇ…

来たる2月。はじめてのてんしょくかつどうを行うがホワイト弊社は何事も法律に則り行う為ここで書くことは特になし。普通に試験面接して普通に工場見学して普通に受かった。面接でドッカンドッカン笑いが起きたのが決め手っぽかった。この面接、平日に2回あったんだけど両方ともおばぁちゃんの骨折って事で休み貰った。湯川はお前のおばぁちゃんどんだけ骨折すんだよって言ってたけど何気に納得してくれたのでヨシ。

ただ最終選考が2011年3月11日13:00〜でさ、俺帰りのTSUTAYAで東日本大地震食らったんだよね。揺れた時車の中に居たから最初サスがぶっ壊れたかと思った。この頃にはもうシルビアって車に変わってて、車高調が入ってたからそこまで揺れなかったんだけど、TSUTAYAからお客さんが猛ダッシュで出てきたからヤベェ地震だって悟った。TSUTAYAの中は棚のもんが全部落ちてて凄まじかった。

この時本来俺が行ってるはずだった現場は川崎。15:00から帰り始めて工場に着いたのが22:00とからしい。向こうは液状化で電柱とかが沈んじゃって大変だったみたいね。次の日怒り状態の親方から聞いた。サボりで休んだと思ったらしい。あっぶね。丁度面接で良かった。

無事に入社式の日取りも出たところでネタバラシ。真っ先に湯川に言いに行った。

 

この日は上着が要らない位の陽気で、徐々に春が近づいてくる事を感じた。相変わらず狭いビルの1階に車を停めて2階の湯川の元へ。白髪混じりのゆるいオールバック、曇り無い銀縁眼鏡、急に来た俺に微笑みながら「どうした?」って聞くもんだからちょっと狼狽えちゃった。俺、今でも湯川と親方の事は好きだから。

少しヘラヘラした後、転職活動をしていた事と今の会社に内定が出た事だけを、伝えた。湯川の顔から笑みが無くなった。沈黙が重かったが辛い現状を打破する為なら少しも気にならなかった。

先に沈黙を破ったのは湯川だった。

 

「はぁ〜。みんなこうだ。何で辞める前に相談してくんないのかなぁ〜。」

 

しねぇだろ普通。何言ってんだこいつ

 

余り多くを語ると悪口が出そうで嫌なので、お世話になりました。とだけ伝えた。

湯川も流石に育ってきた人材を手放したくないようで、色々な質問をしてきた。一番印象的だったのは大企業の評価は雑だぞ。中小の方が頑張った分だけ上がりも早いぞ。といった内容だ。その時はパッと理解出来なかったが、今は極めて的確な事を言う。と思う。

確かに大企業で頑張ったところで評価される組織にはなってない。そもそも中小と比べて比較対象が多すぎる上に優秀な人だらけだ。マトモに動いてちゃ勝てない。全ては上の数字の為に動いていて、現状は上のニーズを満たすだけに動いている。頑張ったかどうかは度外視だ。やりがいとか評価とかはもうほぼ年功序列と見えないヒエラルキーで決まっている。番狂わせはあり得ないつまらない世界だ。流石専務。仰る通りです。

一通り引き留めてくれたが、「最後だけど本当に辞めるの?」って問いを投げかけてきた。迷いなく頷いた為、めでたく俺の退職が決まった。

 

あと2週間で辞める旨を今まで関わってくれた人全員に口頭で伝えた。親方には湯川の次に伝えた。だいぶ残念がってくれたけど、応援してくれた。

作業員の皆はあんなにイジメ尽くしてくれたのに辞める時はやけに優しかった。なんでやろね。普段から優しくすればいいのにね。

 

いよいよ本格的に退社です。もうこの会社ともお別れです。ってなった帰り道、門を出た時、別に死ぬわけじゃないのにヤケに寂しかった。たった1年しか居なかったけど半端じゃなく濃かったんだと思う。未だにこの会社で経験した事は生きているし、今後この1年を超える程辛い事もないんじゃないかな。

今でも用事があるとわざわざ遠回りして様子を見るんだ。通るたびにあんまり変わってなくて安心する。夜遅くまで電気が消えない所も(笑)

ただ毎日あんなに憂鬱で、あんなにくたびれ果てて半分眠りながら通った大嫌いな道も、時間が経てば好きな道に変わるんだね。帰り道よく叫んだな。。。行きはずっとイライラしてタバコばっかり吸ってた。

千葉の真ん中の方だから山を通っていくルートでさ、自然いっぱいだし走りやすいからドライブにはもってこいなんだよね。セブンイレブンの店員さんはお釣りを投げなくなったし、何度も子供と行ったダチョウ王国(もう潰れた)やドイツ村がある事は辞めてから知った。ガチなんだけど二百何十日通っててドイツ村見えなかったんだよ?ヤバくね?どんだけ限界だったんだよって話。

 

今は楽勝で仕事もこなせて、結婚して、家も建って、好きな車に乗って、たっぷり休みを貰って好きなことして、使えきれない位給料も貰えてる。このご時世に目ん玉飛び出るくらいの額のボーナスが年2回もある。今年で勤続10周年なのでちょっとした休みや祝儀金ももらえる。この上なく幸せなんだけど、一番辛かった頃の仕事終わりに感じた極彩色の世界にはめっきり会わなくなった。会社に行く前の憂鬱な日も無い。

求めればキリが無い。結局ないものねだりなんだから現状に満足して大事に生きていこう。

 

そうそう。木更津駅前、東口のラビン、本当にパンケーキが絶品なんですよ。近くに寄った際は是非。